ここのところ、国内でも、海外でも一時代を築いた大物アーチストの訃報が相次いでいますが、本日、日本の歌謡曲、ヒット曲を作り上げた素晴らしい作家(作曲家)の訃報が入って来ました。
本当にびっくりですね。
元々、テレビやメディアにはほとんど顔を出さない人でしたし、作曲を手掛けた楽曲をリリースすることが「近況報告」みたいなものでしたから、ここ数年闘病生活を送っていたことさえ一部の人しか知らなかったと思います。
筆者が子供の頃から、特に「筒美京平」という名前を知らなくても、「また逢う日まで」「さらば恋人」「17才」「わたしの彼は左きき」などの作曲を手掛けたヒット曲は当たり前のようにテレビ、ラジオで流れてましたし、「好き」「今一つ」といった個人的嗜好以前に頭の中にメロディーが入って行きました。
純粋な意味で「筒美京平」という名前を意識して楽曲を聴き始めたのは、筆者が中学生の時、岩崎宏美さん、太田裕美さんが相次いでデビューした1975年ころでしょうか。2人とも筒美京平さんが作曲を手掛けたものの、岩崎さんはディスコ調の楽曲に伸びのある歌唱を聴かせるスタイル、太田さんはフォーク・ニューミュージック調の楽曲に声質に合った語り掛けるようなスタイルと、「時代を駆け抜ける音楽」としては非常に対照的なものでしたが、京平さんは真摯に向き合い、「ロマンス」「木綿のハンカチーフ」といった名曲を、作詞家、編曲家との共同作業で作り上げました。
80年代の作曲家としての大ブレイクも、そうした「時代の音楽」に柔軟に対応してきたことが大きいと思いますし、その養分は70年代、特に、岩崎宏美、太田裕美の楽曲を通して培ってきたことだけは間違いないでしょう。
京平さんが手がけた楽曲は4000曲とも言われています。その中で「好きな曲は?」と言われても、1曲はおろか、10曲、100曲でもなかなか絞ることができません。ここは、世間一般に、アーチストの「代表曲」と言われる楽曲や、「斬新」「衝撃的」という観点から楽曲取り上げるよりも、やはり、個人的な思い出、思い入れと繋がる楽曲を機会あれば取り上げてみたいと思います。
他人の評価よりも、個人の思いこそが「歌謡曲」ですので。
改めて、故人のご冥福をお祈りいたします。
R.I.P